はてなブックマークで見つけた「アラブイスラム学院での講演1 日本におけるダアワの環境的障害」という記事がおもしろい。どのようにすればイスラム教が日本で広まるかという内容なんだけれど、ムスリムから見た日本社会、日本人についての考察も書かれていて非常に興味深い。

1. 孤立
 日本人は、世界から孤立していると感じています。このように孤立を感じるのは、四方を海に囲まれた地理的条件によるものです。その国の地理的・歴史的背景なしでは、その国の社会現象を完全に理解することはできません。日本の地理的位置と地形は、日本人の文化と信仰に大きく影響を与えてきました。この世界が「地球村」となった今では、もはや地理的孤立はありえない、とおっしゃる方もいるでしょう。確かにそれも一理ありますが、しかしなお、孤立の影響は現代日本の文化に深く刻み込まれているのです。日本人は未だに、恐れと憧れのまなざしをもって外国人と距離を置いて接しようとするし、一般的に外国人とは深い関係を持とうとしません。この孤立は2つの影響を持っています。

i.孤立によって、同質性がもたらされました。日本人は世界で最も大きな同質的集団だ、とさえ言う研究者もいるほどです。この同質性によって、それ自体で宗教となるような硬直した伝統を持つ構造のなかで人々は結束するようになります。日本人はこのような伝統に従わなければならないという観念に駆られます。また、日本が完全な鎖国状態にあった1638年から1853年にかけての2世紀間にわたる日本の歴史的孤立も考慮に入れなければなりません。この孤立と同質性は、日本人がイスラムを受け入れるのを妨げています。というのも、日本人はイスラムを、日本文化とかけ離れた多文明に属する文化として捉えているからです。日本人はイスラム文明を尊敬するかもしれませんが、日本人の生き方には適していないと考えるでしょう。

「日本人は世界で最も大きな同質的集団だ」
なるほど。こういう視点はおもしろい。日本にいるとなかなかこういう視点は気づきにくいかもしれない。でも、今はインターネットの普及で外国の存在が日本にとって近い存在になってきている。これは逆に言えば、外国から見て日本の存在が近くなっているということを表す。私はイスラム社会と日本社会が身近になっているとはあまり感じないが、韓国やアメリカなどの国の文化が身近になっているのはなんとなく感じる。だから私もYouTubeみたいにいろんな国の文化の中で日本を客観的な位置から見れるような場所にいると、日本人という集団の同質性は他の国とはなんか違うなあって感じることがある。
よく考えてみると、外国人、特に英語圏の人々からすれば、なんだかワケの分からない言語を使うデカイ集団がインターネットの世界では異様な存在感を放っていて、しかも我々と笑いの基準が微妙に違うみたいな感じで見られてるんじゃないだろうか。これは英語圏の人々にとって日本の文化がエキゾチックでオリエンタルだからとか、単純に馴染みが薄いから珍しいからおもしろそうだとか、そういうのは表面的な理由ではあるかもしれないが、本当の理由ではないように思う。
だって、日本より人口の多い国はたくさんあるし、同じ言語を使う人数ならば、スペイン語圏、中国語圏などのほうが圧倒的に多いわけだし。それでも私には日本人という集団は他の言語を使う集団から孤立しているというか、違って見える。それは、日本人は国民一人一人が潜在的に同じ文化、社会、価値観を共有していると思っている度合いが他の国よりも濃いからだと思う。
たとえば、英語圏の人々のネット上の掲示板の議論や討論番組などを見て感じるのは、彼らはお互いの共有していると思っている価値観が少ないということを前提に討論をしているようで、自分と異なる意見を主張する者が目の前に現れても驚かないし、「自分の意見はこうだ」とお互いの主張を遠慮なくぶつけ合う。それに対して日本人はお互いの共有していると思っている価値観が多いということを前提に討論するので、自分と異なる意見を主張する者に出会うと驚き恐怖し排除しようとする。
この共同体意識の違いについては、なんとなくなんだけど、アメリカの映画と日本のアニメを比べても同じようなことが言えそう。日本のアニメはハッキリいって、日本の文化、日本についてのある程度の知識がないと意味が分からない部分が多すぎるように思われる。でも、アメリカの映画は違う。アメリカの映画は英語圏じゃない日本人にも分かりやすい。もちろんアメリカの映画にもアメリカの文化、考え方などの影響が色濃く出ているから、ときどき日本人からすれば理解しにくい部分があるし、知識がなければ浅くしか楽しめないのは日本のアニメと変わらない。それでも日本のアニメに比べたら、同じ文化を共有していないと理解できない基準値のようなものがアメリカの映画はかなり低いように思える。
おそらく映画を作る側が、最初からこの映画を見てくれる人と価値観の共有している部分が少ないということを前提にして映画を作っているからだと思う。そして日本のアニメが同じ文化、価値観を共有していないと理解しにくいように作られているのは、アニメを作る側がアニメを見る人も同じ文化や価値観を共有していることを前提に作っているから。
このような共同体の意識の違いが「日本人は世界で最も大きな同質的集団だ」と言われている理由だと思う。

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世界遺産の価値

2007/02/01 (Thu)
写真などで世界遺産を見ると、キリスト教の聖堂とかヨーロッパの街全体が世界文化遺産に指定されてたりしてる。たしかに聖堂も街並みも綺麗だったりするんだけど、その文化や街の歴史とか私はよく知らないのでいまいち価値が分からない。というか、私はキリスト教徒でも西洋人でもないので、その街の歴史を理解しても、それほどの価値があるとは思えないかもしれない。でも、おそらく多くのヨーロッパの人々には共有できる価値がその街にあるんだろう。でも、別にキリスト教文化圏の価値観を否定するわけじゃないけど、個人的には、あんなんで世界遺産指定なら、日本の街も世界遺産だらけじゃねーのかと思う。
世界遺産はキリスト教文化圏の建造物とか街とかが多すぎじゃないのか。日本で世界遺産の登録に向けての地域の盛り上がりのニュースとか見ると、なんだか日本の文化遺産を西洋諸国の人々に認めてくださいお願いしますみたいな考え方が透けて見えて不快。そもそも普遍的な文化の価値なんてあるわけないのに。世界遺産の認定の価値の基準がよく分からない。
そんなワケの分からない判断基準を持つ世界遺産に指定されるぐらいなら、頭下げて申請するどころか、勝手に登録しないでくださいと拒否の意思を表明したほうがいいと思う。世界遺産に登録されても価値は高くならない。私は日本の貴重な文化遺産が世界遺産に登録されることは少しも名誉あることとは思えない。

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山田さん

2007/01/31 (Wed)
日本人の苗字のデータが網羅されているサイト(苗字館)がおもしろい。日本で一番多い苗字の佐藤さんがたくさんいる都道府県は普通に考えれば人口の多い東京だと思っていたが、北海道らしい。
それから、パッと眺めてみると沖縄と北海道は苗字の偏りが激しいなと思った。それと過疎地域などの人間の動きが少ないと思われる場所は苗字の種類は少なくなるみたい。
結構上位にランキングしてる名前でも自分が今まで会ったことのない苗字の人とかいる。私は山田さんに今まで会ったことがない。会ったことがないというか、映像や写真で見たりは当然するし、道路ですれ違ったりとかはしてるだろうけど、実際に生で山田という名前の人間を認識したことはない。住んでいる場所が人間の動きが少ない場所だからだろうか。山田さんは日本に結構多い。全国ランキングで12位。都道府県別ランキングで見ると、岐阜県で3位、愛知県で4位、静岡県で8位、長野県で14位、北海道地方で15位、東北地方全体で29位などなど。割合的には中部地方あたりが多いらしい。人口でみると、よく分かんないけど他の多くの苗字と同じように、東京になるんじゃないかと思う。
どうでもいいけど、山田さんは自分の苗字が記入用紙の見本とかに「山田太郎」「山田花子」などと書いてあったりする名前で有名であることに対してどう思っているのだろうか。山田という苗字は確かにありふれていて、日本人の人口に占める割合も多いけど、人数の多さで言うならば、佐藤さんや鈴木さんのほうがもっと多い。それなのに山田さんが見本でよく使われているのは、おそらく苗字に使われている「山」と「田」という漢字がめちゃくちゃ簡単だからみたいな理由だからだと思う。でも、なんだか山田さんがまるで個性がない苗字であるかのように思われているような気もする。

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不二家のお菓子とかどうでもいいし、ケーキがなければ、パンを食べればいいじゃないぐらいに思ってるし、そもそも不二家の食品の賞味期限切れ関連のニュースとかあんまり興味がないので、ほとんど読んでないんだけど、食品の賞味期限切れの問題がそんなに重大な問題なのかと思ってしまう。
普通に考えれば賞味期限切れなんてのは不二家だけの問題じゃないと思うんだけど。そこらへんの定食屋や屋台だってそんなに変わんない食べ物を出してるだろう。マスコミの不二家に対するバッシングは異常。
もちろん賞味期限を過ぎたものを販売するのはよくないのは確かにそうなんだけど、賞味期限が一秒過ぎたのを食べたらお腹壊すわけじゃあるまいし。私ならちょっとぐらい賞味期限が過ぎたものでも食べれそうだと思えば食べる。別に食品の研究者じゃなくたって、食べれそうか否かぐらいの判断は特別に難しいことじゃないだろうし。
なんでも表示に安全って書いてあったから安全だとか、自分の食べるものぐらいは、もうちょっと自分で考えて判断したほうがいい。先日の納豆のダイエット効果の捏造番組も同じようなものだろうけど、ダイエットに効くとかテレビが言ってたから、納豆をたくさん食べたのに騙されたとか言ってた人も、もうちょっと自分で考えたほうがいい。自分でろくに考えもせずに、なんでも他人の言うことをそのまま信じて、他人の言うことが間違ってたら騙されたなんて文句を垂れるのは、せめて自分の浅慮を省みてからにしたほうがいい。これは私も自分自身に言い聞かせたほうがいい。

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この放送が始まる前からNHKがGoogleを取材したことはネット上のいろんなところで話題になっていた。それで私は、NHKもマスメディア側だから、たぶん他のマスメディアと同じように負の側面ばかり強調するんだろうなと思っていたが、実際に番組を視聴した後の感想はそれほどでもなかったように思う。それでも、BGMなどからは意図的に視聴者にインターネット怖いみたいな印象を与えているように見えるシーンは見苦しいと思った。とはいえ、インターネットはマスメディアの敵だから、彼らがネットを語るときなんて負の部分ばかり強調するのは分かりきったことだし、仕方がないといえば仕方がない。
番組の内容はについての感想は、率直に言うとおもしろくなかった。Googleというよりも、インターネットとはどういうものかみたいな説明で最後まで終わってしまったという感じだった。でも、やはりNHKなのでインターネットを全く使わない人にもわかりやすく伝える必要があるので、内容は浅くて広いものになる。これもやはり仕方がない。
それでもGoogleのページランクとかGoogle八分とかも伝えていたので悪くなかったのかもしれない。でもそれってGoogleだけの問題でもないような気がするし、それに情報の検索とか、個人の情報の保存とかそんなの10年前だってHTMLの個人ウェブサイト、ウェブ日記みたいなのは日本にもあったのに今更そんなのを取り上げるのもどうなのかと思ってしまった。
私としては、マスメディア、エスタブリッシュメント代表としてのNHKが、Google民主主義は衆愚政治だからウンコ以下、とか梅田さんの「ウェブ進化論」に対する宣戦布告みたいな番組内容を想像していたので少し期待はずれ。

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