労働の価値
2007/02/07 (Wed)
江戸時代あたりは川に橋が架かっていない場所が多かったので「渡し」という仕事が存在した。渡しが数名で客を御輿のようなもので担いで川を渡る様子の浮世絵は歴史の教科書なんかによく載っていたと思う。
なぜこういう商売が成り立つかというと、おそらく、川に渡りたいと思った人が、川を安全に、重い荷物を簡単に、しかも水に濡れずに渡らせてくれるなどのサービスに対価を支払う価値があると判断したからだろう。少しWikipediaで調べてみると、たとえば明治時代の新大橋の渡しの料金は、1人8銭、人力車1銭5厘、荷物8厘、自転車5厘だったらしい。昭和41年ごろまで残っていたらしいけど、現在は渡しの仕事は消えたらしい。
なぜ渡しという仕事は消えたのか。これは渡しという仕事の価値がなくなったからだと思う。江戸時代の風情を楽しみたいという需要に対しては現在でも価値があるのかもしれないけど、本来の川の向こう岸への渡し役というサービスの価値は完全に消えたと言っていいと思う。つまり、サービス(もっと広い意味で言えば「労働」)の価値は普遍的ではない。
他の仕事も同じことが言える。例えば魚屋。魚屋はいつまでも日本人が魚を食べてくれると思っているかもしれない。でも、あと100年もすれば魚を日本人がほとんど食べなくなる可能性も否定できない。もし日本人がほとんど魚を食べなくなると、次第にたくさんの魚屋が廃業になっていくだろう。つまり、渡しという仕事が消えたように、魚そのものの価値、もしくは魚屋が魚を売るというサービスに対する価値がなくなったら、魚屋が消えることだってあるかもしれない。
これは例外なく全ての仕事に言えると思われる。石油などの資源なんて、あんなものは代替燃料の研究、開発が進んでいけば、石油は全く価値のない液体でしかなくなるかもしれないわけで、いつ消えてもおかしくない産業だと思う。
労働の価値は相対的な関係によって変わる。労働に絶対的な価値は存在しない。今はあるのが当たり前、なくなるはずがないと思っている仕事もいつ存在価値がなくなり次第に消えてしまうのか分からない。
なぜこういう商売が成り立つかというと、おそらく、川に渡りたいと思った人が、川を安全に、重い荷物を簡単に、しかも水に濡れずに渡らせてくれるなどのサービスに対価を支払う価値があると判断したからだろう。少しWikipediaで調べてみると、たとえば明治時代の新大橋の渡しの料金は、1人8銭、人力車1銭5厘、荷物8厘、自転車5厘だったらしい。昭和41年ごろまで残っていたらしいけど、現在は渡しの仕事は消えたらしい。
なぜ渡しという仕事は消えたのか。これは渡しという仕事の価値がなくなったからだと思う。江戸時代の風情を楽しみたいという需要に対しては現在でも価値があるのかもしれないけど、本来の川の向こう岸への渡し役というサービスの価値は完全に消えたと言っていいと思う。つまり、サービス(もっと広い意味で言えば「労働」)の価値は普遍的ではない。
他の仕事も同じことが言える。例えば魚屋。魚屋はいつまでも日本人が魚を食べてくれると思っているかもしれない。でも、あと100年もすれば魚を日本人がほとんど食べなくなる可能性も否定できない。もし日本人がほとんど魚を食べなくなると、次第にたくさんの魚屋が廃業になっていくだろう。つまり、渡しという仕事が消えたように、魚そのものの価値、もしくは魚屋が魚を売るというサービスに対する価値がなくなったら、魚屋が消えることだってあるかもしれない。
これは例外なく全ての仕事に言えると思われる。石油などの資源なんて、あんなものは代替燃料の研究、開発が進んでいけば、石油は全く価値のない液体でしかなくなるかもしれないわけで、いつ消えてもおかしくない産業だと思う。
労働の価値は相対的な関係によって変わる。労働に絶対的な価値は存在しない。今はあるのが当たり前、なくなるはずがないと思っている仕事もいつ存在価値がなくなり次第に消えてしまうのか分からない。
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