山田さん

2007/01/31 (Wed)
日本人の苗字のデータが網羅されているサイト(苗字館)がおもしろい。日本で一番多い苗字の佐藤さんがたくさんいる都道府県は普通に考えれば人口の多い東京だと思っていたが、北海道らしい。
それから、パッと眺めてみると沖縄と北海道は苗字の偏りが激しいなと思った。それと過疎地域などの人間の動きが少ないと思われる場所は苗字の種類は少なくなるみたい。
結構上位にランキングしてる名前でも自分が今まで会ったことのない苗字の人とかいる。私は山田さんに今まで会ったことがない。会ったことがないというか、映像や写真で見たりは当然するし、道路ですれ違ったりとかはしてるだろうけど、実際に生で山田という名前の人間を認識したことはない。住んでいる場所が人間の動きが少ない場所だからだろうか。山田さんは日本に結構多い。全国ランキングで12位。都道府県別ランキングで見ると、岐阜県で3位、愛知県で4位、静岡県で8位、長野県で14位、北海道地方で15位、東北地方全体で29位などなど。割合的には中部地方あたりが多いらしい。人口でみると、よく分かんないけど他の多くの苗字と同じように、東京になるんじゃないかと思う。
どうでもいいけど、山田さんは自分の苗字が記入用紙の見本とかに「山田太郎」「山田花子」などと書いてあったりする名前で有名であることに対してどう思っているのだろうか。山田という苗字は確かにありふれていて、日本人の人口に占める割合も多いけど、人数の多さで言うならば、佐藤さんや鈴木さんのほうがもっと多い。それなのに山田さんが見本でよく使われているのは、おそらく苗字に使われている「山」と「田」という漢字がめちゃくちゃ簡単だからみたいな理由だからだと思う。でも、なんだか山田さんがまるで個性がない苗字であるかのように思われているような気もする。

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不二家のお菓子とかどうでもいいし、ケーキがなければ、パンを食べればいいじゃないぐらいに思ってるし、そもそも不二家の食品の賞味期限切れ関連のニュースとかあんまり興味がないので、ほとんど読んでないんだけど、食品の賞味期限切れの問題がそんなに重大な問題なのかと思ってしまう。
普通に考えれば賞味期限切れなんてのは不二家だけの問題じゃないと思うんだけど。そこらへんの定食屋や屋台だってそんなに変わんない食べ物を出してるだろう。マスコミの不二家に対するバッシングは異常。
もちろん賞味期限を過ぎたものを販売するのはよくないのは確かにそうなんだけど、賞味期限が一秒過ぎたのを食べたらお腹壊すわけじゃあるまいし。私ならちょっとぐらい賞味期限が過ぎたものでも食べれそうだと思えば食べる。別に食品の研究者じゃなくたって、食べれそうか否かぐらいの判断は特別に難しいことじゃないだろうし。
なんでも表示に安全って書いてあったから安全だとか、自分の食べるものぐらいは、もうちょっと自分で考えて判断したほうがいい。先日の納豆のダイエット効果の捏造番組も同じようなものだろうけど、ダイエットに効くとかテレビが言ってたから、納豆をたくさん食べたのに騙されたとか言ってた人も、もうちょっと自分で考えたほうがいい。自分でろくに考えもせずに、なんでも他人の言うことをそのまま信じて、他人の言うことが間違ってたら騙されたなんて文句を垂れるのは、せめて自分の浅慮を省みてからにしたほうがいい。これは私も自分自身に言い聞かせたほうがいい。

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この放送が始まる前からNHKがGoogleを取材したことはネット上のいろんなところで話題になっていた。それで私は、NHKもマスメディア側だから、たぶん他のマスメディアと同じように負の側面ばかり強調するんだろうなと思っていたが、実際に番組を視聴した後の感想はそれほどでもなかったように思う。それでも、BGMなどからは意図的に視聴者にインターネット怖いみたいな印象を与えているように見えるシーンは見苦しいと思った。とはいえ、インターネットはマスメディアの敵だから、彼らがネットを語るときなんて負の部分ばかり強調するのは分かりきったことだし、仕方がないといえば仕方がない。
番組の内容はについての感想は、率直に言うとおもしろくなかった。Googleというよりも、インターネットとはどういうものかみたいな説明で最後まで終わってしまったという感じだった。でも、やはりNHKなのでインターネットを全く使わない人にもわかりやすく伝える必要があるので、内容は浅くて広いものになる。これもやはり仕方がない。
それでもGoogleのページランクとかGoogle八分とかも伝えていたので悪くなかったのかもしれない。でもそれってGoogleだけの問題でもないような気がするし、それに情報の検索とか、個人の情報の保存とかそんなの10年前だってHTMLの個人ウェブサイト、ウェブ日記みたいなのは日本にもあったのに今更そんなのを取り上げるのもどうなのかと思ってしまった。
私としては、マスメディア、エスタブリッシュメント代表としてのNHKが、Google民主主義は衆愚政治だからウンコ以下、とか梅田さんの「ウェブ進化論」に対する宣戦布告みたいな番組内容を想像していたので少し期待はずれ。

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なぜだか分からないけれど、最近YouTubeで日本語をしゃべる外国人(主にアメリカ人)の動画の投稿が増えてきた。昔からそういう動画はあるにはあったけど少なくて、ここ数週間ぐらい前からにわかに増えはじめているように思われる。アメリカ人から見た日本って、日本に住んでると気づかないような日本のことを気づかせてくれるから聞いてるとすごくおもしろい。アメリカ人が日本語でしゃべっているVlogを一部紹介してみる。

久しぶり・・・どうしよう? ID:33Sammi32
2ちゃんねるなどで有名。

2007年1月9日〜みんな、ありがとうございます!〜 ID:applemilk1988
自称エミリータン。日本語と歌が得意。

long long blog part1長い長いブログ1 ID:LilithHacker
この人も日本語の発音が自然で上手い。

Hello! 自己紹介-Hello LilithHacker & Applemilk1988 ID:victorintheworld
日本在住らしい。日本人ももっとVlogしようと呼びかけ中。

1月18日の日記 ID:kotatsusama
日本在住の大学生らしい。

自己紹介♡ ID:kerokerorin86
キャロリンさん。しゃべり方がギャル風の女子高生っぽい。

こんにちは ID:crispix59
九州の佐賀県で勉強したらしい。

こんな感じで今、YouTubeではちょっとした日本語Vlogブームになっている感じがする。といっても、もちろん日本語をしゃべれる外国人の数自体そんなにたくさんいるわけじゃないからメインストリームみたいなものではないけれど。それから日本語を母国語とする日本人も少なからずアップロードしている人もいた。
日本のVlogてまだまだやね。 ID:KGKGKG
たしかに日本で一般人が顔を出してネット上で発言するというのはまだまだというか、相当勇気がいることだと思う。私もやってみたいとは思うけど、(ブログですら匿名でしか書けない私にとって)実際に顔を出してネット上で発言するのはなんとなくリスクが大きいような気がする。なんとなくというか、たくさん理由があると思うのでよく考えてまた書いてみたい。それよりも、むしろなぜアメリカ人の多くがLook at me!な性格の人が多いのか、こっちのほうが不思議に思える。

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センター試験の英語のリスニングテストのときに使うポータブルプレイヤーが少し気になる。去年から実施されたこのポータブルプレイヤーだけど、今年のは去年よりも豪華らしい。昨年度のリスニングテストの機器の不具合の反省点から、イヤホンをニッケル製のプラグにしたり、銀製のジャックを、高級オーディオ機器でも使われる腐食しづらい金メッキ製に改良したりしたらしい。これ一個の値段いくらぐらいするんだろう。ただ普通の音楽プレーヤーみたいにデータを入れて音楽聴けるわけじゃないと思うので、持ってても記念ぐらいにしかならなさそうだけど。
ところで、英語のリスニングについて私がいつも思うのは、そもそもリスニングってあんまり意味ないんじゃないかなと。いや、リスニングだけでなく、コミュニケーション重視の英語教育は日本の英語教育として間違っていると思う。はっきりいってセンター試験の英語のリスニングテストなんて必要ない。
日本の英語の教育の歴史は私はよく知らないけれど、いろいろなメディアでいっぱいしゃべれる駅前留学だとかネイティブスピーカーによる授業が大切ですよとかいうような情報を耳にすると、年々リスニングなどのオーラルコミュニケーションが重視され、文法などが軽視されてきているように思われる。これはよくない傾向だと思う。
もしバイリンガル(ここでの意味は二つの言語を上手にしゃべる人ではない)を育てようと思うならば、日本人の幼児が日本語の文法を全く教えてもらっていないのに日本語をペラペラしゃべれるように、アメリカ人の幼児が英語の文法を全く教えてもらわなくても英語をペラペラしゃべれるように、それらと同じように英語の文法なんて全く教えずに英語を教えるべきだ。ようするに、今の日本の英語の教育はかなり中途半端。両方の文化や価値観を基準にものごとを考えるバイリンガルを育てようとしているのか、英語圏の人とコミュニケーションするための日本人を育てようとしているのか分からない。
私は言語はその人の価値観、考え方の基準となるもの、アイデンティティみたいなものに大きな影響を与えるものだと思ってるから、国としての教育でバイリンガルを育てるのはよく意味が分からない。それに文法が分かっていないと、既に日本語が基礎にある人間は理解しにくいだろうし、センター試験の英語の問題作ってる人とか、国の教育機関は会話などのコミュニケーション重視ではなくて、もっと文法などの基本を重視して欲しいと思う。

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IEのブラウザの気に入らないところは、「お気に入り」という名前でブックマークが表示されていること。もちろんIEはアドオンがない(IE7はあるのかな?もうずっと使ってないから分からない)こととか、その他諸々の理由が色々あって、そういう理由のほうが圧倒的に大きいんだけれど。
で、Firefoxだと「ブックマーク」って表示されているのに、IEの「お気に入り」って表示は納得いかない。だって、ウェブサイトはお気に入りだから登録するわけじゃなくて、気に入らなくても登録することもあるわけだし。だから気に入らないウェブサイトはどこに登録することもできなくて悩む。どうしても「お気に入り」をと言うのであれば「お気に入らない」も作るべきだろう。でも、それだと2つサイドバー出るので邪魔だし面倒な感じがするけど。だからブックマークの登録は「ブックマーク」でいいと思う。やっぱりIEのインターフェイスはダメだなぁ。

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ラーメン屋について

2007/01/14 (Sun)
私はラーメン屋の雰囲気があんまり好きじゃない。ラーメンは好きだけど。友達と食べに行ってもあまりくつろげないような雰囲気がある。テーブル席でもなんとなく話しにくいような雰囲気を醸し出しているお店が多い。私はファミレスのような雰囲気のお店のほうがくつろげる感じがして気が楽だなぁと思う。
私がそう思うのは、まず、ファミレスは比較的に店内が広くてテーブルとテーブルの距離もある程度あるので周りをあまり気にしなくてもいいからだろう。テーブルごとに仕切りのあるラーメン屋もファミレスなどと比べればそんなに多いようには思えない。ラーメン屋は比較的にファミレスとかよりも隣同士の席が近かったり店内が狭かったりして、他の客を意識してしまい、ゆったりとくつろげない感じがする。
それとラーメンって早く食べないと冷めて麺が伸びたりするから、あんまり長々と悠長に友達と話しながら食べたりできないのもあるかもしれない。一人で食べに来ているわけでもないのに、皆でただ黙々と食べるのはあんまり好きでない。あと、カウンターとかで友達と座るのはできれば避けたい。なんか料理作ってる人目の前にいるといろんなことを気楽に話しにくいし。料理のラーメンの味についての批評なんかとてもしゃべりづらい。
でもこうやって書いているうちによく考えてみると、もっと根本的なところから私がラーメン屋があまり好きでない理由があるなと思った。それはラーメン屋でラーメン食べてる人って、なんか食通ぶってる人が多い気がするというか、ラーメンごときでグルメ家気取りですかみたいな、つまり、そんなのは認めねーよって気持ちが私にあるからだ。
たしかにラーメン屋のラーメンはおいしいけど、袋入りラーメンもカップラーメンも同じくらいおいしいと私は感じる。ただラーメン屋のラーメンはそれなりの値段がするし、具も多いし手間暇かけてるので、単純比較できるものではないが、基本的には同じラーメンだと思っている。
それに「ラーメン屋のラーメンはやっぱり美味いよ」的な考え方って、「値段の高いビールは美味い、値段の安いビールはまずい」って言ってるのと変わらないんじゃないのかって思う。仮にそうであったとして、高いビールがおいしいとか言う人に極秘計画でさりげなくラベルだけ張り替えてビール飲ませたらホントに気づくのか実験してみたい。だいたいみんな周りがおいしいと言ってるから、それに合わせて「私もおいしー」なんて言ってるだけなんじゃないのか。それから、ラーメン屋の前の行列にわざわざ並んでまでラーメン食うなんて尋常じゃない。おかしい。狂ってる。コンビニでカップラーメン買ってきて食えばいいじゃないか。とにかく私は「ラーメン屋のラーメンはやっぱり美味いよ」的な思想、信条に反対の立場を宣言したい。
そういう諸々の理由があり、私はラーメンは好きだけど、ラーメン屋の雰囲気があまり好きでないというか、おそらくラーメン屋そのものが好きでない。

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ベッカムがアメリカのサッカークラブのロサンゼルス・ギャラクシー(クラブ名が仙台ギャラクシーエンジェルズっぽくって超クール)に移籍するらしい。アメリカといえば、まさにサッカー不毛の地として有名。あんなにいろんなスポーツが盛んな国でありながら、世界で最もメジャーなスポーツであるサッカーがアメリカでマイナーなスポーツであるのは不思議。
去年のドイツワールドカップの時期あたりにアメリカのテレビ局のたぶんCNNかABC(よく覚えていない)のニュース番組で、なぜアメリカではヨーロッパや南米などの世界の国々のようなサッカー人気がないのかみたいな討論をやってたのを思い出した。アメリカでサッカー人気が出るのはこれからだよ派とアメリカではサッカー人気はいつまでたっても出ないよ派の2人(2人ともたぶんアメリカ人)がそれぞれ司会を挟んで熱く議論していた。
彼らアメリカ人の話によると、アメリカにはサッカーというスポーツがあまり普及していないからサッカー人気がない、という考え方はどうも違うらしい。アメリカでは、サッカーは小学校の体育の授業やクラブ活動などでとても人気があるスポーツだという。つまり、サッカーというスポーツは、アメリカ人にとって決して馴染みのないスポーツというわけではないらしい。ここらへんの前提はお互い共有していたように思われた。
では、なぜ人気があって多くの人に知られているのに、他のメジャーなスポーツのようになりえないのか。なぜアメリカではサッカーを大人になるとやらなくなったり、サッカーがビジネスとして成功しないのか。たぶん私の推測では、サッカーは所詮は体育の授業、クラブ活動、趣味程度のスポーツという認識をアメリカ人の多くが持っているということだろう。
では、なぜそんな認識をアメリカ人の多くは持っているのか。これに関しての話題がニュース番組内の議論での主な主題であり、これから人気が出るよ派とアメリカでは無理だよ派の意見の分かれるところだった。
これから人気が出るよ派(サッカー雑誌の編集者の女性)の主張。データではどんどんアメリカのサッカー人口は増え続けている。他のメジャーなスポーツのようになるのは時間の問題だろう、みたいな意見を言っていた。
その意見に対して、アメリカではサッカーは無理だよ派(サッカー専門家?の男性)の主張。1994年のアメリカのワールドカップのときもそう言ってたし、さらに何十年前も同じことがずっと言われ続けてきた。しかし実際にいまだにアメリカではサッカー人気が根付いていない。これはアメリカ人の性格にサッカーというスポーツが合ってないからだ、みたいな主張だったように思われる。そしてアメリカ人にサッカーが受け入れられないとする根拠をいくつか挙げていた。

・サッカーはルールが非合理的、なぜ手を使わないのか。非合理的なルールはアメリカ人の国民性に合わない。
・選手がわざとらしいオーバーアクションで倒れるのを見ると不快。
・フィールドが広すぎてパスをまわしても変化がない時間が多すぎて、ダラダラしてる感じがして見ていてつまらない。
・試合時間の割りに得点が2〜3点しか入らないので退屈だし、もっとも最悪なのは引き分けの勝敗が決まらない試合。

これらの他にもいくつか根拠を挙げていたと思うけど忘れた。たしかにこれだけの要素があると、サッカーがアメリカで他のメジャーなスポーツ(アメフト、野球、バスケ、アイスホッケーなど)のように成長するのは相当難しそう。でもベッカム人気でアメリカのサッカーもメジャーなスポーツになるかもしれんね、どうでもいいけど。

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ITmedia News:「2ch.net」ドメイン差し押さえ?
2ちゃんねるの閉鎖騒動について思ったこと。YouTubeも2ちゃんねると同じようにやたら問題が多いとよく言われているサイトで、ちょい前までいつ閉鎖してもおかしくなかったように思われる。んで、私はこういう系統のサイトの閉鎖騒動とかについて考えるとき、基本的にはそのサイトを利用していたユーザーのニーズが消えるわけじゃないから、結局は他のサイトに移動するだけなんじゃないかなと思っている。
たとえばYouTubeがJASRACなどの著作権関連の団体から潰されたとしたら、YouTubeを利用していたユーザーはどうなるのか。私は、たぶんnyのユーザーの多くが辿った道と同じように洒落やeMuleなどの他のP2Pに分散していくだけであったように、YouTubeのユーザーも一段と目に付きにくい場所で全く同じことが集まるようになるだけだと思っている。動画共有サイトはYouTubeだけではないし、ステ6やDailymotionなど他にも有名なサイトはいくらでもあるし。
そういうネットの利用者の行為が見えにくくなるおかげでさらに自由になってしまう状況はJASRACなどの団体が望むところなのか、それともそうなることが想像できないのか、よく分からないけど。いずれにせよ、こんなことがネットでできると一度知ってしまったユーザーのニーズは必ずどこかに行き着くと思う。でももうYouTubeは今ではGoogleと提携してるから、そう簡単には潰れなさそうだけど。それに日本の音楽関係やテレビ関係の会社は、日本の法律や文化が通用しないところにYouTubeみたいなサイトがあるのは不都合だろう。
今日は2ちゃんねるが裁判所からドメインを差し押さえられて閉鎖か?みたいな話題が盛り上がっている。以前から、ひろゆきは2ちゃんはいつ閉鎖するか分からないと言っていたし、あんまり2ちゃんねるの運営を続ける気がないとか言ってた気がする。
2ちゃんねるは個人サイトだし、いつ消えてもおかしくないんだけど、2ちゃんが消えても2ちゃんねるのユーザーである2ちゃんねらーは消えないだろうなと思う。2ちゃんねるは死すとも2ちゃんねらーは死せず、みたいな。2ちゃんが閉鎖すれば他の場所に移って2ちゃんと同じようなBBSが出来るだけなのは目に見えている。私としては、これから2ちゃんねるのようなサイトが世界中のあちこちにたくさん出てくるのは今よりおもしろそうだなぁとも思うが、あまりにもワールドワイドになってしまうのは、社会的にはあんまりよろしくないんじゃないのとも思ってしまう。

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アメリカには字をきれいに書く文化がない。私が今まで見てきたアメリカ人はみんな字が雑で汚かった。アメリカに留学していた人が日本に帰ってきてアメリカ人の字の汚さに驚いたとも言っていた。日本人は日本語だけでなく、英語のアルファベットの文字もきれいに丁寧に書こうとする。日本人がまるでパソコンの画面の文字のように黒板にきれいに英語を書き連ねる様子は、きっとアメリカ人にとってかなり不思議な光景に思われるに違いない。
アメリカ人は字を書くとき、できるだけ丁寧に、きれいに書こうとかいう意思が全くないように思える。でも、読めないほど字が汚いわけではない。ちゃんと読めるから文字が表している情報は理解できる。アメリカ人にとっては、字は芸術作品ではないし、基本的に読めればいいからだろう。そもそも字をきれいに書くことは非合理的だし。
んじゃ、なんで日本人は字をきれいに書くのか。もちろん字が汚い日本人もたくさんいるが、少なくとも日本人はきれいに字を書くことは良いことだよ、と小学校ぐらいのときから教えられる。それが日本の文化だから教えるほうも教わるほうも自然に身に着けている。
私が思うに、そういう文化、つまり日本人が字をきれい書こうとするのは、日本人にとって字は単に「文字が表す情報だけを伝えるもの」ではないと考えているからだと思う。日本人にとって字は「文字が表す情報以上のもの」も同時に伝えている。その「文字が表す情報以上のもの」は書かれていないので行間を読むように感じ取るしかない。どうやって感じ取るかというと、字のきれいさや丁寧さ加減で判断する、しかも無意識に。
日本人の価値観が、字は読めればいいと思うような価値観だったならば、今頃は年賀状も履歴書も手書きではなく、全てパソコンで打っているに違いない。もちろん最近はパソコンで打った履歴書や年賀状も少なくはないけれど、そういう年賀状や履歴書は日本人から見ると、「文字が表す情報以上のもの」を読み取ることができない。時と場合によっては、あえて手書きで字を書くほうが効果的なこともある。でも「文字が表す情報以上のもの」はハッキリと書かれていないので、読み手の判断に委ねられる部分が多く、非常に曖昧な情報でもある。だから重要な書類、公の文書などでは、できるだけ読み手側の勝手な判断を最小限にするために、パソコンなどで文字を書いたほうがいい場合もある。
要するに、日本人が字をきれいに書こうとする理由は、字には「文字が表す情報以上のもの」が存在すると思っているから。だから、相手がアメリカ人の場合は、字をきれいに書いたからといって、相手が「文字が表す情報以上のもの」を読み取ってくれることを期待してはいけないし、汚い字を書くアメリカ人を見て、その字から「文字が表す情報以上のもの」を読み取ってはいけない。

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要望

2007/01/07 (Sun)
私の部屋の加湿器の水蒸気の勢いがすこし強すぎるように思える。扇風機でいうならば、ずっと強風のままみたいな感じ。困るのは、扇風機と違ってレベル設定ができないこと。湯気の勢いが強すぎるから、水の減り方も激しい。そんなに湯気たくさん出さなくてもいい。沸騰する音ももう少し静かにして欲しい。慣れれば問題ないけど、最初はグツグツうるさいから驚く。安物だからしょうがないのかもしれない。もう少し値段の高いものならおそらくレベル調整できると思う。私としては、2000〜3000円程度の加湿器にも扇風機みたいにリモコン付き、デジタル液晶タイマー、自動首振りON/OFF機能ぐらいは付けて欲しいと思う。加湿器は家庭用電化製品の中での平均的性能レベルが低すぎる。

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英語科学論文の書き方:英語圏の人たちのものの見方、考え方
日本語を使う人と英語を使う人の発想の違い。日立製作所で英語論文の書き方の講師をしている小野義正氏への質問インタビュー記事。特に私がいちばん面白いと思った部分を引用。

英語圏の人たちのものの見方、考え方

Q:その著書をもとに話を進めたいと思いますが、科学的な発想も日本と英語圏では異なるのですか?

小野: : 論理的展開を要求される科学分野でも、日本の伝統的な表現方法が影響してきますね。また、学会などの体制、人間的関係も発想に影響を与えます。そのひとつを挙げますと、日本語の場合、間接的に表現して、私の言いたいことは察して下さいと言う「遠巻き話法」(Beat-around-the-bush style)ですが英語は具体的に表現して本論を先に言う「ずばり要点主義」(Straight-to-the-point style)です。

Q:まるっきり正反対のようですね。具体例としては?

小野: 「週刊新潮は明日発売です」という広告がありますが、殆どの日本人は控えめで感じの良い宣伝文句だな、「明日買ってやるか」となるわけです。一方、タイム誌のTVコマーシャルは"Time magazine will come out tomorrow. Get it at your newsstand."と必ず動詞を入れ相手にどうしてほしいかを訴えます。そうすると"Yeah, I've got to get it tomorrow. "となります。

Q:週刊新潮の宣伝に対して英語圏の人はどう反応しますか?

小野: これを直訳すると"The weekly magazine Shincho will be put on sale tomorrow."なりますが「だから一体どうしたっていうの?」という心理的な抵抗をおこし、宣伝としては逆効果になります。

当たり前だけど、普通は日本人は日常で「この本は明日発売されます」という広告表現を見ても、特にこの表現を少し控えめだなぁとか思わないだろう。でも、たしかにアメリカ人からすれば、「この本は明日発売されます」なんて表現は、控えめで良い印象を与えるどころか、逆に「それが一体どうしたの?」というネガティブな印象を与えてしまいかねない。それにしても、英語的な表現だと「この本は明日発売されます。それをNewsstandで買ってください」は日本の広告としてはちょっと態度がデカイ。客に対して「これを買え」って、一体何様のつもりだ、となってしまう。
英語は物事をはっきり言わないと理解してもらえない言語。逆に、日本語は文章の行間を読まないと理解できない言語。よくある例え話だけど、日本人とアメリカ人が一緒に食事をして、日本人が自分の手の届かない場所にあるソースをアメリカ人にとって欲しいと思ったので、「ソースがない」と言った。それに対してアメリカ人は「ソースはここにあるよ」と言った。もちろん決して意地悪でアメリカ人はそんなふうに言ったわけじゃないのに。でも日本人同士で食事をすれば、相手は行間を読んで理解して「ソースがない」→相手「はい、どうぞ」と言ってソースを取ってくれる。この日本人同士の会話を英語で単純に直訳しても普通のアメリカ人は少し理解に苦しむだろう。なぜならそのアメリカ人は日本語的なものの見方、考え方を理解してないから。
日本語と英語の考え方の差はこんなにも大きい。なるほど、言語が違えば考え方まで違うわけだかから、英語の意味だけ理解しても、英語の考え方が理解できなければおかしな翻訳になってしまうというのも納得できる。

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Pay attention

2007/01/04 (Thu)
第2回:嫌いな日本アニメは?というwebアンケートの結果を読んで、アメリカ人の英語の言葉の比喩的な表現の仕方の面白さにちょっと感動した。

*俺の脳ミソがピンときて「これって史上最もくだらないアニメだ」と語りかけるまで、しばらくハマってた。(カリフォルニア州 22歳 男性)

脳ミソが語りかけるって、実際には脳ミソは発声できる器官や独立した意思を持った個別の生物ではないのに、ホントよくこんなうまい表現を思いつくなぁと感心する。たくさんの英語のおもしろい表現を読んでると、昔から少し気になってたある英語の表現を思い出したのでネットで検索してたら、Wikipediaにおもしろい記述を見つけた。

日本語の「注意を払う」は、英語のpay attentionの直訳であり、日本に昔からある慣用句ではない。

昔からちょっと気になっていた英語の表現というのは、pay attentionのことであり、実は私は密かに中学生ぐらいの頃からずっと日本語の「注意を払う」は英語のpay attentionの直訳に違いないと思っていた。そしてWikipediaを見て確信した。Wikipediaだから情報の真偽は定かではないのは保障されているわけではないんだけれど、このような細かい比喩表現が言語も文化も全く異なる国で偶然一致していたと考えるのはあまりに不自然なので、真実である可能性はほぼ間違いないと言っていいだろう。
それにしても、pay attentionを和訳して、直訳で最初に日本で使った人間は誰なのか気になる。日本で最初にpay attentionを和訳した人って、ものすごく悩んで苦労しただろうな。だって、常識的に考えて、attention(注意)って金銭などの物体じゃないのにpay(払う)って意味分かんねーぞ。一体どうやって「注意」を「払う」んだ。ほんと英語のこういう表現の仕方は感心する。ちょっとすぐに思いつかないけど、他にもこういう英語の直訳がそのまま日本語の慣用句として使われている表現はあると思う。
それにしても、pay attentionを最初に日本で訳した人はすごい。たぶん明治〜昭和あたりの英語を学んだ日本人が考えたんだろう。でも、私がもっとすごいと思うのは、こういう新しい外国の比喩的な表現が日本中の国民に広く普及したという事実。これは、根本的には外国の優れていると思う点を素直に認め尊重し、そんな優れた外国の文化などを積極的に理解しようと努めるような精神が日本という国の文化にあったからではないかなと思っている。
だって、もし日本にそういう文化がなければ、最初にpay attentionを「注意を払う」と訳した日本人に対して、当時の多くの日本人が「そんな表現おかしいよ」とか「日本語の乱れだ!けしからん!」とか言って英語の優れた比喩的表現が受け入れなかった可能性だって考えられたわけだから。

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デジモノに埋もれる日々: 格闘技とお笑いを「美味しいシーン」だけ切り取って見たい視聴者たち
「ショートケーキを作ったら、上に乗せたイチゴだけ持っていかれた」っていう表現は分かりやすくておもしろい。でも、ショートケーキのイチゴ(美味しいシーン)だけなら、テレビ局だって、自前で動画のアーカイブサイトを作ってオンデマンドで視聴者に動画を提供することぐらいできるような気がする。でも、そんなサイト作ってもおそらくそんなに人気出ないだろうな。
なぜかというと、まず「美味しいシーン」とあるけど、その「美味しいシーン」の中には、テレビ局や製作側やテレビ出演者側にとって都合の悪いシーンがあることもある。だからテレビ局側は、視聴者が見たい動画をいつでもオンデマンドで見れる動画アーカイブみたいなのを作れない。そんなの関係ねえよってところがYouTubeが強いところなんだと思う。
これに関して、以前どこかの記事で読んだんだけど、視聴者が見たいと思う映像の中には、単なるおもしろいシーンだけじゃなくて、それはたとえば、スプーの絵かき歌だったり、菊間アナウンサーの落下事故だったり、極楽とんぼの加藤の涙の謝罪だったり、そんなアクシデントやハプニングの映像であることが多い。この視聴者のニーズにテレビ局は応えることができない。だって、製作側や出演者がそんなシーンを何度も見られるような状況にすることを望むとは到底思えないから。だからテレビ局が自前で動画サイトを作ってもYouTubeには絶対に勝てない、みたいな記事だったと思う。
たしかにテレビ局側からすれば、自分たちに都合の悪い映像って、普通は何度も放送したくないのは理解できる。たとえば、NHKが自前で動画アーカイブのサイト作ったとして、そこで先日の大晦日のNHK紅白歌合戦のDJ OZMAのバックダンサーの動画をNHK自らが積極的にオンデマンドでいつでも見れるような状態にするかな。同じように「K-1 Dynamite!! 2006」の秋山選手vs桜庭選手の後味の悪い試合だって、K-1運営側やテレビ局側にとっては、なるべく世間でこれ以上大きな話題になって欲しくないと思ってる人が多いんじゃないかな。
私たちはテレビ局にそろそろ視聴者のニーズに応えてオンデマンドな放送をやってよとか希望しがちだけど、それは放送する側にとっては根本的に無理な話しであって、たとえオンデマンドな放送をテレビ局側がやったとしても、そこでは本当においしいイチゴは食べられないだろうね。

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うーん

2007/01/02 (Tue)
どこまで個人的なことをブログに書いていいか迷う。実名であれ匿名であれ、プライバシーは当然誰にでも存在するんだけど、その個人的なことをどこまで書くのか、その境界線をどこに引いたらいいものか。常にデメリット、メリット両方考える必要がありそう。ブログに書きたいことを自由に書くのは難しい。でも、何か記録に残すということ自体、誰かに見られる可能性がないとは言い切れない。紙のノートにペンで日記を書いたって、そのノートを誰かに見られない保障は誰もできるはずがない。ネットの非公開日記だって同じこと。でも、ネットは集合知であり、ブログを自分が書くことによって得られるかもしれない財産があると考えるならば、テキストファイルに書き込むよりもいいかもしれない。オフラインの日記とかって、そういうメリットを享受できないデメリットがある。もちろん、テキストファイルに書いても何も得ることがないわけではないと思う。ネットのない生活になるわけではないし、自分を振り返ることができるから、改めていろいろ考えたりもできるだろう。ほんとに、ブログに書きたいことを自由に書くのって難しい。もっと自由に書きたい。

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amazonで注文した商品をコンビニで受け取れるってサービスは便利。コンビニに家が近ければもっと便利。コンビニの近くに住みたい。宅配便っていろいろと面倒だし、つまり、宅配便はオンデマンド加減が足りないと思う。宅配便はの何時何分単位の指定じゃなくて、むしろ秒単位まで指定して欲しいね。トイレ行ってる時に宅配便来ても困るし、テレビでちょうどおもしろいところが放送されてるとき来てもらっても困る。そんな感じでいろいろと不便。そういう点で、個人的には、できるだけ宅配便は利用したくない。
ところで、コンビニは商品受け渡しの場所を提供しているだけで何の利益もないのかというと、もちろんそうではなくて、コンビニに商品を受け取りにきた客が、来たついでにコンビニの商品も買ってくれるということを想定している。実際に、こういう直接コンビニの利益にならないような便利なサービスを提供することによって、ついでにそのコンビニで客が買ってくれる効果はかなり大きいらしい。コンビニでできるサービスの多さは異常。
これからもっとネット上での買い物が普及して、コンビニで取り扱うサービスが増えるのを想像すると、必要ない商売をやってる場所ってたくさん出てくるような気がする。とりあえず、比較的にネットで扱いやすいと思われる商品、たとえば、本、CD、ゲームソフトとかを販売している場所ってあんまり必要ないんじゃねーのか。いや、業界自体は商品は売れるわけだから問題ないのかもしれないけど、本屋やCDショップやゲーム店などの建物とそこで働く雇用者は消えていきそう。インターネットって、ほんとに既存のビジネスを破壊しまくりだなぁ。日本だけ文明の発展を止めて、インターネット禁止令でもやったほうがいいんじゃねーの。

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男性が書く日記と女性が書く日記は、一般的に見れば、日記の内容が異なるように思われる。男性は社会的な物事を日記に書くのを好む傾向があって、女性は個人的な物事を日記に書くのを好む傾向があるように思われる。それと、なんとなくの雰囲気だけど、男性は個人的な物事を日記に書くときは、個人的な内側から外側である社会的なものを意識して書いているような内容が多くて、女性が社会的な物事を日記に書くときは、社会的な外側から内側である個人的なものを意識して書いているような内容が多いように感じる。
以前にどっかの記事で読んだのを思い出したんだけど、この男女間の違いって、個人ニュースサイトとか見ると分かりやすい。個人ニュース系サイトというジャンルは、もちろん圧倒的に男性の管理人が多いように思うんだけど、女性もそれほど少ないわけではないように思われる。それで、どんなふうに違うのかというと、例えば、扱う記事そのものの違いとかも当然あるんだけれど、注目したいのは、一般的に女性の個人ニュースサイトの管理人は、自分の個性を前面に出したサイトが多いということ。サイト訪問者も女性の個人ニュースサイトを訪れる場合は、単なる「個人サイトのニュース」を読むために来るのではなく、一個人である「あなたのニュース」、「あなたという個人が選んだニュース」を読みに来るという意識が潜在的にあるんじゃないのかなと私は思っている。要するに、女性の日記の内容や個人ニュースの内容は、常に個人が中心にあるものが多いように感じるってこと。
それで、ふと思ったんだけど、もし女性の管理人が運営している個人ニュースサイトで、ただひたすらニュースを羅列してるだけで、ニュースの下の紹介文やコメントみたいな部分が一、二行あったとしても、その部分には個人としての感想や意見などはほとんどなくて、まるで自動キーワード抽出プログラムのごとくニュースの内容の要約だけしか書いていないような個人ニュースサイトがあったなら、それは非常に興味深い。これはもう私はそのサイトのファンになってしまうかもわからんね。

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